太田一也名誉教授が逝去されました

1月 19, 2025

地震火山観測研究センターの前身である,島原地震火山観測所長であり,九州大学名誉教授の太田一也先生が,2025(令和7)年1月15日に逝去されました.満90歳でした.

太田先生は,長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)の出身で,長崎県立島原高等学校から九州大学に進学されました.大学では石炭地質学を専攻していましたが,大学院を中途で辞められていったんは炭鉱会社に就職されました.しかし,研究の道を諦めきれず1967(昭和42)年10月に理学部助手として,当時仮施設であった「島原火山温泉研究所」に赴任されて以降,1998(平成10)年3月に定年による退職されるまでの30年6ヶ月の長きにわたり,島原で地道な研究を続けてこられました.
太田先生の研究業績は多岐にわたりますが,特に地質学的・化学的手法による火山噴火予知の研究で,この分野に貢献されました.

故太田一也名誉教授(2011年3月撮影)
雲仙火山の温泉群の生成系列図
(太田一也,2011)

研究業績の第一は,島原半島における様々の温泉に関するもので,各々の温泉成分分析を通じてそれらの特徴を明らかにしたうえ,温泉の成因を地質学的に考察しました.そして,島原半島の各種泉質温泉郡の配列と,地質構造,および群発地震の震源移動状況との相互関係から雲仙火山のマグマ溜まりを西側千々石湾地下10数 kmに想定し,千々石湾下から雲仙火山浅部に向かってマグマが斜めに上昇するもでるを提唱しました.このモデルが提唱されたのは昭和48年のことですが,少なくとも島原半島内の深さ10 km以浅については,このモデルの正当性が1990〜1995(平成2〜7)年の雲仙普賢岳噴火で地球物理学的に実証され,多くの研究者が雲仙火山のマグマ供給システムを論じる際の基礎となるなど,その後の研究に大きな影響を与えました.

研究業績の第二は,1792年の眉山大崩壊のメカニズムと津波の成因に関するもので,大崩壊の素因として群発地震による脆弱な岩体の岩盤拾うを指摘し,噴火活動による熱水圧の異常上昇と直下型地震発生との複合作用が誘因であることを明らかにしました.また,津波の発生原因として,岩屑流の海中突入説を支持しました.これらの研究成果は1990〜1995(平成2〜7)年の雲仙岳噴火時の眉山監視に役立てられました.

第三の研究業績は火山ガス観測と温泉観測に基づく火山活動度評価に関するもので,火山ガス中の二酸化硫黄と温泉水中の二酸化炭素濃度が火山活動評価の指標として有効であることを,複数の火山における観測データに基づいて示しました.特に相関スペクトロメーターを用いた二酸化硫黄の遠隔測定はこの分野では先駆的な研究として評価が高く,これを新しい火山観測手法として確立した功績は大変大きいと言えます.

阿蘇山中岳火口の二酸化硫黄噴出量を測定中の相関スペクトロメータ(1982).
雲仙岳で調査を行う太田教授(右)
(1991年3月2日)

研究業績の第四は,雲仙火山の噴火活動に関するもので,1990〜1995(平成2〜7)年の噴火の際には,島原地震火山観測所の所長として,また全国大学合同観測班の代表者として観測を立案および指揮し,溶岩ドームの形成・成長と火砕流の発生機構について数多くの貴重な記録を得ることに成功しました.全国の研究者と共同で多くの研究成果を挙げられ,何冊もの研究成果報告書を編纂されました.

これらの業績のほかに,太田先生の業績として忘れてはならないものは,雲仙普賢岳噴火時における地域社会への多大なる貢献です.先生は地元の自治体,自衛隊および警察等の防災機関と密接な協力体制を構築,研究成果を基に地域に真に必要とされる情報を的確かつ速やかに提供し,住民の安全確保と防災対策に尽力されました.これらの功績により,1995(平成7)年に人事院総裁賞(職域部門),1996(平成8)年に国土庁長官防災功績者表彰、長崎県民特別表彰,1997(平成9)年に島原市民特別表彰を受賞されました.

島原城趾に設置された前線本部で、自衛隊幹部や島原市長らにアドバイスをする太田教授(1991)
雲仙岳災害記念館に再現された太田教授執務室.裏の倉庫には多量の資料や写真が保管されており,申し込むとどなたでも閲覧することが可能になっています.(2021)

太田先生は1998(平成10)年3月末で九州大学を定年退官されましたが,4月には名誉教授となられ,引き続き島原地震火山観測所(現地震火山観測研究センター)において雲仙普賢岳災害の資料整理や1万枚を超える多量の雲仙火山の写真の整理・デジタル化を行いました.資料については,島原市にある雲仙岳災害記念館に「雲仙普賢岳噴火 太田資料室」が設置され、そこで一般に公開されています.また雲仙火山の写真データについては,防災科学技術研究所が運営するJapan Volcanological Data Network (JVDN)において公開されています.また,2019(平成31)年には雲仙普賢岳災害における 噴火と災害の推移と危機管理をまとめた「雲仙普賢岳噴火回想録」(長崎文献社、ISBN 978-4-8885-1306-7)を出版し、2024(令和6年)には約40年間にわたる雲仙火山の研究結果をまとめた「雲仙火山 ―地形・地質と火山現象―」(ゆるり、ISBN 978-4-9100-0342-9)も上梓されました.

以上のように,先生のこれまでの歩みは「地域に根ざした研究活動とその研究成果の社会への還元」と総括できるように思います.先生はこのことを強い信念をもって誠実に実行し,上記の業績を上げられたのに加え,官・民そしてマスコミを含めた多くの人々に信頼を得られました.
太田先生の素晴らしい業績と貢献に心から感謝の意を表します.どうか安らかにお眠りください.

(清水 洋)

故太田一也名誉教授の祭壇.雲仙普賢岳と眉山を模した花で飾られました.多くの火山研究者や防災関係者,当時の報道関係者,市民が弔問に訪れました.(2025年1月16日)
53年1ヶ月の長期にわたり,過ごされた島原観測所にも最後にお立ち寄りになられました.職員全員でお見送りしました.
(2025年1月17日)