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インターネット博物館「雲仙普賢岳の噴火とその背景
1998年6月、アクロス福岡において、研究の一部を社会に公開する試みで、公開展示会「雲仙普賢岳の噴火とその背景」を開催し、多数の方々にご来場をいただき、大変好評を博しました.この公開展示の経験を生かし、ご来場の方々からいただいた貴重なご意見を参考にして、展示内容に改良を加え、インターネット上に「インターネット博物館」として公開することに致しました。
普賢岳噴火災害からの教訓 ー危機管理の視点からー 【エッセイ】
<はじめに>
長かった雲仙岳の噴火活動も,4年3か月の歳月を経てやっと終わった.今回の噴火は198年振りであったが,巨大な溶岩ドームの形成と火砕流をともなうような大噴火は,雲仙岳ではほぼ4千年間隔で起きていることが指摘されている.今回,たまたまそのような大噴火に遭遇したことになるが,それだけに,火山学的には貴重な知見が得られた.また,大きな災害がもたらされたが,その対応において,貴重な体験をすることが出来た.
1990年~1995年雲仙・普賢岳噴火と当センターの取り組みについて
雲仙普賢岳災害で思うこと ー災害科学ってなんだろう?ー
雲仙岳の主峰である普賢岳が,1990年11月17日,約200年ぶりに噴火を開始して,既に2年8カ月,溶岩の噴出が始まってからも2年2カ月が過ぎ去った.新溶岩ドームの高さは,元の火口底から約180m,東斜面に垂れ下がったその先端を下底にすると約500mに成長している.
この間,数次にわたって大火砕流が発生,44人が死亡するとともに,820棟余りの家屋が焼失してしまった.また,土石流も頻発,1300棟余りが全壊または半壊したが,こちらでは死者は出ていない.
このような自然の威力に,人間の無力さをしみじみと実感せざるを得ない.それにしても,災害科学って何だろう?と,ふと考えることがしばしばである.住民の命を守るために必死になって闘っている地方自治体は,次々と駆けつけた研究者達に,わらをも掴む思いで期待し協力した.果たして彼らは,その期待にどれだけ応えてくれたのであろうか?
普賢を見つめて ー九大観測所の日々ー 【新聞記事】
雲仙・普賢岳の火山活動を観測し,地元研究者として防災対策に力を尽くす太田一也・九州大学島原地震火山観測所長に11月3日,西日本文化賞が贈られる.噴火から丸3年を迎え,今も住民の安全のため山と向き合う日々が続く九大観測陣と,その周辺の姿を追った.